【皇位継承問題その3】旧宮家復帰案は伝統と国体の破壊への第一歩~女系を容認する以外に皇室の安泰はない~

旧宮家復帰案は日本の伝統と国体の破壊につながる

前回、男系の血筋を引かず女系のみでつながる、いわゆる『女系天皇』が出現しなかったのは同族婚や氏姓制度など君臣の別を図るための政策によるただの結果論であること、男系は伝統でも何でもないことをおはなししました。

むしろ男系に固執して旧宮家の男系男子を皇籍に入れる旧宮家復帰案」は日本の伝統と国体の破壊につながります。女系天皇の方がはるかに日本の伝統と国体に適っています。日本の伝統と国体を守りたいなら女系を容認しなければなりません

今回は、その理由をおはなしします。

旧宮家復帰案は三重、四重にもわたり先例がない

たしかに旧皇族やその子どもが皇籍に入った先例が10数件あります。宇多天皇(源定省)やその子どもの醍醐天皇(源惟城)のように天皇に即位したケースもあります。ただし宇多天皇旧皇族1世、醍醐天皇旧皇族2世です。3世以下が皇籍を取得した先例はありません。少なくとも男系論者からそのような例を指摘されたことはありません。しかし、旧11宮家が皇籍を離脱してから70年以上が経過しているので、当時皇族だった旧皇族1世はすでに高齢であり、2世も新生児を期待できる年齢をすでに超えています。皇籍に入るのはせいぜい3世以下と考えられます。

先例がない点は、女系天皇旧宮家復帰案もお互いさまなのです。女系容認論者は最初から先例に重きを置いていないので論理的に整合しますが、男系論者は「先例-男系-直系」と言って、とかく先例を重視しておきながら先例のないことをやろうとしているのです。男系論者の言っていることは全くの支離滅裂です。

しかも旧宮家復帰案が先例に反しているのはこれだけではありません。旧宮家天皇家からわかれたのは室町時代崇光天皇からです。皇籍を取得するだろう旧宮家の男系男子は崇光天皇20、21世あたりでしょうか。天皇20世が即位した例はもちろんありません。離れているにしてもせいぜい5世孫までです。

また旧皇族の3世ということは、両親ともに一般国民です。歴代の天皇は少なくとも片親は天皇・皇族です。両親ともに皇族でない天皇はもちろんこれまで存在したことはありません

さらに令和3 (2021)年に開催された「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』に関する有識者会議」の報告書によれば、皇籍を取得した旧宮家の男系男子には皇位継承資格を与えないとしていますが、皇籍取得後に生まれた子どもについてはとくに言及していません。もしその子どもが皇位を継承して天皇になったら、両親ともに皇位継承資格を持たないのに子どもが天皇に即位することになります。もちろんそんな先例はありません

このように旧宮家復帰案は三重、四重にもわたって先例のないことをしようというものです。それに対し女系天皇は父を皇族に持たない点が先例にないだけ。たったこの一点だけ。皇統に属し、少なくとも片方は天皇皇位継承資格のある皇族を親に持つ、生まれながらの皇族が皇位を継承する、この伝統にいささかも変更はありません。旧宮家復帰案の方がはるかに伝統に反しています

というか旧宮家復帰案はもはや男系『継承』とはいえません。新王朝の成立です旧宮家は「伏見」、「東久邇」、「竹田」などの姓を持っています。蘇我氏、源氏、平氏、足利氏(家)と同じ立場の人たちです。例えば足利義満の子どもが天皇になったら、誰もそれを男系『継承』とは言わないでしょう。たとえ足利姓を捨て、皇室にあやかって無姓を装ったとしても、誰しもが足利王朝の成立とみるはずです。少なくとも欧米諸国はそうみます。フランスのカペー朝ヴァロワ朝ブルボン朝はいずれも男系でつながっていますが、別王朝とみなされます。同様に東久邇家や竹田家の誰かが天皇になれば、東久邇王朝や竹田王朝が成立したとみなされ、現在の世界一古い王朝が世界一新しい王朝に格下げになるでしょう。

旧宮家復帰案は国体破壊への第一歩

前回、いわゆる男系は皇族どうしの結婚や氏姓制度など君臣の別を図るための政策によって生じた、ただの副作用であることをお話ししました。先祖が守ろうとしたのは男系ではありません。君臣の別、天皇と臣下という身分秩序を守ることに努力したのです。

天皇と臣下、天皇と国民、天皇とそれ以外。この建国以来の身分秩序こそが国体です。男系女系はただの先例に過ぎません。先例はいくらでも変えられるが、国体だけは絶対にゆるがせてはならないのです。

前回も触れましたが氏や姓は天皇から与えられる臣下の証です。旧宮家皇籍を離脱するとき「東久邇」、「竹田」などの姓(正確には「苗字」)を与えられました。この時点で旧宮家の人々は臣下、現代でいえば国民となったのです。旧宮家は皇室の『親戚』ではありません。『臣籍』です。私たちと同じ一般国民です。皇室と旧宮家を同等にみる男系論者は最も根本的なことをわかっていません。とくに旧宮家復帰案を強硬に主張する一部の旧宮家の男系男子は、ご自身の立場をわきまえるべきでしょう

このような私たちと同じ一般国民たる旧宮家の男系男子を皇籍に入れ、その子孫を天皇にすることは、天皇とそれ以外という建国以来の身分秩序を乱し、国体にひびを入れる行為であって、それこそ先祖に対する裏切りです。保守の立場からいえば、旧宮家復帰案は決して許されないのです。

皇族数が減少しているのだから、終戦直後まで皇族だった旧宮家ぐらい復活させてもよいのではないかとも思うかもしれませんが、では旧宮家が断絶、あるいは皇籍復帰を拒んだら次はどうするのでしょうか?皇別摂家を復帰させますか?そのあとは源氏?平氏?足利?佐竹?細川?もっと言えば、もし万万が一私やあなたの父方の親戚が男系に血筋を引いていたら、私やあなたの父方の親戚の男子も天皇になれてしまいます。

旧宮家復帰案は、このように皇室を一般国民化して皇室の尊貴性を失わせ、ついには皇室を滅ぼすことにつながります。旧宮家復帰案は国体破壊への第一歩です。ほころびは、最初は小さいが気づかぬうちに大きくなる。ほころびは作らないに越したことはないのです。

国体と憲法秩序を脅かすもの、むかし極左暴力集団、いま男系論者

それでも旧皇族皇籍に復帰した先例があるからいいだろうと思う方もいるかもしれませんが、皇籍復帰は藤原摂関家上皇などときの最高権力者の私的な感情や人間関係によるもので、国策として行われたことはありません。ただの権力の乱用。あんなものは本来許されず、先例として認められません。実際、明治の皇室典範(増補)で禁止され現在に至っています。先例があるから皇籍復帰を認めてもいいだろうというのは、過去にルール違反を犯した先例があるから、またルール違反をしもいいだろと言っているのと同じことです。これでは法秩序は成り立ちません。国体と憲法秩序を脅かすのは、かつては極左暴力集団でしたが、いまは男系論者と言ってもよいでしょう。

男系論者は、皇室の廃絶を企む反日勢力に踊らされている

以上みてきたように、旧宮家復帰案は、君臣の別を乱し、天皇とそれ以外という建国以来の身分秩序にひびを入れる、伝統と国体の破壊行為であることを理解いただけたと思います。

となると、これ以上男系維持に固執すれば、皇室はほぼ間違いなく途絶えます。晩婚少子化の時代に、側室制度がないのに、男子以外継承できないとしたのでは当然です。もはや男系の維持になんのメリットもありません。

これでなぜ皇室と日本の伝統を大切に思う保守の人たちが男系にこだわるのか理解できません。男系維持で喜ぶのは皇室の廃絶を企む反日勢力だけ。彼らからすれば、自ら手を下すことなく目的を達成できるのですからこんなおいしい話はありません。男系論者はいいかげん自分たちが皇室の廃絶を企む反日勢力に踊らされていることに気付いてほしいものです。

女系天皇、3つのメリット

皇位を安定的に継承できる

男子でも女子でも皇位を継承できるのですから、男子しか継承できない現在の制度より安定的に皇位を継承できます。

2中国由来の男系主義を一掃して日本古来の双系文化を取り戻せる

保守を自認するなら女系を認めるべきでしょう

ジェンダー平等の理念にも適うからリベラル層にも受け入れられる

これまで「世襲」というものを快く思わなかった人々のなかにも、女系天皇であれば歓迎するという意見は多いです。皇室を支持する人がさらに増えることが期待できます。

まさに一石三鳥。女系を容認すれば、天皇は名実ともに「国民の総意」に基づいた存在となり、皇室は盤石となるでしょう。

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【皇位継承問題その2】いわゆる『女系天皇』が現れなかった理由

女系天皇』とは

前回、日本はもともと男系ではなく双系の社会で、男性・女性、男系・女系関係なく継承できるということをおはなししました。しかし一方で、女系のみでつながる天皇はこれまで存在しなかったのは事実です。男系論者はこの点を問題視し、だから男系の血筋を引かない天皇は許されないと主張します。男系論者は、男系の血筋を引かず女系のみでつながる天皇を『女系天皇』と呼んでいます

女系天皇』が誕生しなかったのはなぜ?

では、双系社会であった日本で、なぜ『女系天皇』は現れなかったのでしょうか?

端的に言えば、『女系天皇』が禁止されていたからではなく、そのときどきの政治状況や制度などの諸事情によって結果的に現れなかった、ただの結果論に過ぎないということです。

実際、明治の皇室典範が制定されるまで『女系天皇』を禁止するきまりはありませんでした。男系であれば、中国の宗法やフランスの王位継承法、ユダヤ旧約聖書などのように、たいてい何らかのきまりがあるものです。ところが日本にはなかった。天照大御神の天壌無窮の神勅には「吾が子孫」とあり、男系や父系を示す語はありません。古来、日本は双系なのですから『女系天皇』を排除するきまりがないのは当然といえば当然です。歴史学者本郷和人氏によれば「天皇家は男系男子の血筋を意識して守ってきたのではなく、結果としてこうなったにすぎない」とのことです。

では『女系天皇』の出現を阻んだ「諸事情」とは何でしょうか?

これを説明しないと男系論者は納得しないでしょう。

まず、どういうわけか、最初の6代目の天皇まで女子が誕生しませんでした。女子が生まれなければ、そもそも『女系天皇』は誕生しません。

では8代以降はどうしてでしょうか?

古代の天皇は現在の象徴天皇と違って政治を行っていました。いうまでもなく政治の世界ではどうしても男性が優位になります。だから日本の首相もアメリカ大統領もみんな男性。同様に古代の天皇も男性が続きました。首相も大統領も世襲ではないから男系になりませんが、天皇世襲なので男子の継承が続けば結果的に男系となり、双系であっても系譜でみれば男系とほとんど区別がつかなくなります。その後、中国の儒教律令が入りこみ日本でも徐々に男系主義が広まっていき、その影響を受けた人々が日本は古より男系であったと誤解しているだけなのです。日本の男系主義は中国の影響を受けたものです。男系論者は日本の伝統を守るとか言いながら、実際には中国由来の文化を守ろうとしているだけ。これで保守を気取っているのだから呆れたものです。

かつて女性皇族の結婚相手は皇族に制限されていた

とはいえ、男子には男系(父系)男子のほか女系(母系)男子というものもあります。では女系の男性天皇が現れなかったのはなぜでしょうか?端的に言えば女系皇族が存在しなかったからです。ではなぜ女系皇族が誕生しなかったのか?

その理由は、まず女性皇族の結婚相手が男性皇族に制限されていた時期があったからです。8世紀に制定された「継嗣令」で、臣下は5世の女王(天皇の孫の孫)とまでしか結婚できませんでした。5世(女)王は、王と称しても皇親ではありません。女性皇族だけ結婚相手が制限されていた理由は、男性皇族には非皇族女性との結婚の先例がある、女性皇族の尊貴性の維持など、いろいろ考えられますが正確なところは分かりません。ただいすれにしろ、男系女系とは関係ないと考えられます。女系を排除するだけなら、現代のように皇籍を与えなければ済むはなしだからです。それに明治の旧皇室典範では男性皇族の配偶者も女性皇族または特別に許された華族の女子に制限されていました。やはり結婚相手の制限と男系女系とは無関係と分かります。

むしろ重要なのは、かつては皇族どうしの結婚が奨励された点です。奈良時代以前は皇族どうしの同族婚が原則といってもよく、男性天皇の正妻である皇后も女性皇族というのが原則でした。同族婚によって皇統の純血性を維持することで、皇室の権威を確保しようとしていたと考えられます。皇室が意識していたのは男系女系の区別ではなく、皇統と臣下の血統との区別皇室が守ろうとしたのは男系の血筋ではなく、皇室と臣下との区別、いわゆる君臣の別です。

そもそも同族婚をしていた皇室を明確に男系女系では分けられません。男系だの女系だのにこだわることがいかに無意味かわかります。

氏族(氏姓)制度

しかし桓武天皇の御代以降、女性皇族の結婚制限は徐々に緩和され、平安時代の中期には内親王と臣下の結婚まで認められるようになりました。

だから女系天皇・女系皇族が出現しなかったのにはもう一つ理由があります。それが、645年に制定された「男女の法」です。皇族、貴族から一般の農民(これらをまとめて「良民」といいます)にいたるまで子どもは父方に属すとされたため、女性皇族と臣下の子どもは臣下に属しました

ん?では日本は男系社会だったのではと思うかもしれませんが、これはあくまで法制度上の話で、実際の社会構造は依然として女系(母系)の要素が強く、夫が妻のもとへ通い、子どもは母方で養育されるのが一般的でした。それに「奴婢(ぬひ)」と呼ばれる奴隷階級(賤民)の子どもは母方に属しました。良民の子が父方に属したのは、政治や行政、税や兵役などの負担は男性が担っていたので父系で統一したほうが管理しやすかったからだと考えられます。もちろん中国の律令の影響もあります。中国の律令にならい租・調・庸の税制が採用され、このうち人頭税にあたる調と庸は男子のみに課せられました。また中国の「門蔭の制」を参考に「蔭位の制」が施行され、高級貴族の官位が父方先祖の官位を基準に決定されるようになりました。

そしてそれまで男系女系があいまいであった氏(ウジ)は父系に限定され、男系で官職や家業が世襲されていきます。「氏」とは、臣下を血縁でグループ化した同族集団で、おおむね5世紀頃に組織されました。氏はランク付けされて「姓(かばね)」と呼ばれる称号を与えられ、姓に応じて特定の役職を世襲しました。例えば蘇我「氏」は「臣(おみ)」という姓を与えられ、「大臣(おおおみ)」という行政の最高職を世襲しました。これを氏姓制度といいます。氏姓制度はその後、形骸化しますが、それでも公式の場では氏と姓は使用され、男系で継承されていきます。 

氏姓制度もともとはポスト争いの激化を防ぐための制度です。現代のように実力で決めると内乱になるおそれがあるため、一定の血筋の人たちにポストを世襲させることで秩序の安定をはかりました。

さらに重要なのは、氏や姓は天皇から与えられる臣下の証で、天皇の権威を誇示するものでもあります。天皇・皇族に氏や姓はありません。唯一、無氏無姓の皇室とその他もろもろの氏族という身分秩序を形成することで君臣の別が明確にされました

まとめ

結局、君臣の別を守るために同族婚や氏姓制度などを行った結果として女系天皇や女系皇族が現われなかっただけなのです。いわゆる男系は、君臣の別を図るための政策によって生じた、ただの副作用。伝統でも何でもないことがわかります。ちなみに氏や姓は明治にはいって完全に廃止されました。もはや男系を続ける理由はありません。

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【皇位継承問題その1】「皇位は古来例外なく男系」ではない!日本は古来『双系』!!

皇室は断絶の危機にある!

2000年近く続いた皇室は現在、断絶の危機に直面しています。現在の皇位継承ルールでは男系男子しか皇位を継げないからです。皇位継承者は将来、悠仁殿下お一人だけになります。

そこで皇室典範を改正し皇位継承資格を広げる必要があります。その方法は大まかに言えば二つあり、一つは皇位継承資格を女性・女系に広げる、もう一つは戦後に皇籍を離脱した、いわゆる旧11宮家の男系男子を皇籍に入れる、という方法です。後者が旧宮家復帰案で、皇位継承資格をあくまで男系男子に限定しようという考え方です。

皇位継承を安定化させるのであれば、男子でも女子でも継承できるよう女性・女系を容認すればよいと思えますが、旧宮家復帰案を支持する意見も有力です。

旧宮家復帰案を支持する「男系論者」は、皇位は古来例外なく男系でつないできた、と主張します。「男系継承は日本の伝統」。これが、旧宮家復帰案が支持される一番の根拠です。

しかし、「皇位は古来例外なく男系でつないできた」というのは本当でしょうか?

男系・女系の意義

まず「男系」「女系」とは何でしょう?

令和3 (2021)年開催された「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』に関する有識者会議」の報告書*1によれば、男系とは「父方のみをたどることによって天皇と血統がつながること」とあり、男系論者もおおむねこの意味で使用しています。だしかに126代の天皇の父方はみな天皇や皇族なので、「皇位は古来例外なく男系」という男系論者の主張は、一見すると正しいとも思えます。私もはじめはそう思いました。

しかしこちらの辞典によれば、男系とは「男子の方のみを通してみる血縁の系統的関係」とあります。

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たしかにフランスや中国、李氏朝鮮時代の韓国など男系の国々の君主はみな男子のみで継承されています。そうなると、過去に8人10代の女性天皇がいる我が国は「古来例外なく男系」ではないということになり、男系論者の主張は誤りとなります。

このように政府や男系論者のいう「男系」は一般的なものでなく、意味を広げて使用していることがわかります。男系論者のいう「男系」は、正確には「父系」という意味です。[「古来例外なく男系」の国が「男系」という言葉を正確に使いこなせていない。「古来例外なく男系」は、はなはだ怪しいと言わざるをえません。

では「父系」を「男系」と置き換えたとしても、「皇位は古来例外なく男系(=父系)」なのでしょうか?じつは、これも違います。母方からたどっても天皇と血統がつながるケースが多々あるからです。

かつては皇族どうしの結婚が多かったためにこのようなケースが生じました。有識者会議も男系論者も論理が破綻しているのです。

では「女系」とは何でしょうか?

さきほどの辞典によれば、「厳密には女子だけを通じた血族関係をいうが、広く中間に一人でも女子の入った、男系でない血族関係」とあります。

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つまり、厳密には「女(母)→女(母)→女(母)…」とたどるのが女系ですが、広い意味では「女(母)→男(父)→女(母)…」「女(母)→女(母)→男(父)…」「女(母)→男(父)→男(父)…」など非男系の血族関係も女系と呼ばれます。

日本は古来『双系』

そうすると、先ほどの父方母方どちらからでもたどれる天皇は男系でもあり女系でもある、逆に厳密に言えば男系でも女系でもないという言い方もできます。この男系でも女系でもないものは一般に「双系」といわれます。双系を平たく言えば、「父子関係と母子関係のいずれをも社会的に承認された親子関係」*2とし、「『男系(父系)』だけでなく『女系(母系)』も機能し得る」*3ものです。

確かに、中国から律令が導入される以前は「物部『弓削』守屋」のように父方母方両方の氏で呼ばれることがあり、男系女系があいまいでした。平安時代以前は夫が妻のもとへ通う妻問婚(訪婚)が一般的で、子どもは母方で養育され、鎌倉時代までは女子にも相続権がありました。そう考えると日本はもともと双系の社会なので、男性女性、男系女系関係なく継承できるとするのが日本古来の伝統といえます。実際、「継嗣令」という古代の法令には「天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること(女帝の子もまた同じ)」とあり、女性天皇の子も男性天皇の子と同等に扱われていました。また天智天皇元正天皇のように母方から皇位を継承した天皇もいらっしゃいます。日本の男系が確立したのは、旧皇室典範が制定された明治時代であって、たかだか130年程度の歴史しかありません。それ以前は父方継承、母方継承どちらも可能な双系継承だったのです。

そもそも皇室の先祖は天照大御神という女の神様です。126代のどの天皇も父方のみをたどっては天照大御神につながりません。「男系継承は日本の伝統」という男系論者の主張は日本神話と矛盾します。そもそも男系の国が女の神様を先祖として仰ぐことなど考えられません。こんなことは少し常識を働かせればわかることです。実際、先祖は女性・女神だけど男系、などとのたまっている国を他に知りません。こんな非常識なことを言っているのは日本の男系論者だけではないでしょうか?

以上から「皇位は古来例外なく男系でつないできた」が誤りであることがわかると思います。だから女系を容認しても日本の伝統に反しない、というよりむしろ「双系」という日本古来の文化を復活させることになるのです。

 

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